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<ノベル>
国際色豊かな銀幕市は、元から多種多様な人間が行き交っていた。
魔法がかかって、さらに多くの人々であふれかえっている。
老いも若きも――そして、美しい女性も。
リョウ・セレスタイトは足を止めた。
カフェのオープンテラスに女性が座っていた。彼女は眉間に皺を寄せ、ノートパソコンを操っている。
地味ながら仕立ての良いスーツに、素顔と錯覚しそうなほどナチュラルなメイク。彼女自身も、その華美さを抑えた装いにふさわしい美女だった。
単なる美人なら銀幕市に大勢いるし、魅力的な女性は星の数ほどいる。
けれど他の女性とどこか違う気がした。
リョウはふらりと歩み寄る。彼女はリョウに気づいて、微笑を浮かべた。
「待ち合わせ?」
ビジネスほど緊張感がないし、カフェタイムにしてはスイーツの皿が無い。
「もう来たわ。そして帰っていったの、ここに存在の痕跡を残して」
彼女はパソコンを軽くつつく。
リョウは肩をすくめた。なんともミステリアスな発言だ。
「ねぇ、あなた」
「リョウ」
「私は舞香。リョウはパソコンに詳しいかしら? 助けて欲しいの」
美女のお願いを断る理由はない。
「いいよ」
「このデータをCDにコピーしたいのだけれど、上手くいかなくって」
リョウは画面を覗き込み、「任せて」とマウスに手を載せた。エレキネシス――電磁波干渉能力の有無は関係ない。元情報屋には、たやすい問題だった。
ものの数分で舞香の悩みは解決する。
「これでOK」
「ありがとう。これで魔法をかけられるわ」
「魔法?」
「そう。道具を揃えて呪文を唱えると、願いが叶うでしょう?」
「ファンタジーな話だな」
「ものの例えよ。直接表現で言うと、原稿のデータをCDにコピーして製作所に持ち込めば、イベント会場に萌えの詰まった段ボールが届いてるっていう話」
「ますますファンタジーだ」
原稿と製作所、までは理解が及ぶが。後半の専門用語はお手上げだ。
苦笑するリョウに、舞香は肩をすくめた。
「銀コミのおかげで、ずいぶんオタクに対する理解が深まっていたと思っていたのに。同人誌やBLに限った話で、グッズはまだまだ修羅の道ね」
舞香は唇を尖らせる。
「可愛いね」
リョウはさらりと呟いた。内容は理解できずとも、ひたむきな女性の魅力は理解できる。
目を丸くした舞香は、すぐに表情を蕩かした。
「その話は脇に置いて、リョウが私を救ってくれたのは純然たる事実だわ。一緒にお茶でもいかがかしら?」
「嬉しいね」
リョウは向かいの椅子に腰を下ろす。片手で呼んだウェイトレスに、注文を告げようと口を開いた時――
世界が一変した。
「ハザード、か」
そうとしか思えない光景に、リョウは舌打ちする。
フレンチカジュアルなオープンカフェは消え失せ、暗灰色の壁が立ち並んでいる。その高さは高層ビルに並ぶほどで、上を見るとささやかな青空が広がっていた。
二人は、巨大迷路の内部に取り込まれていた。
「今日中に入稿しなきゃ、イベントに間に合わないのに」
舞香は呆然と呟く。それから慌てて、パソコンとデータを入れたCDを鞄にしまった。じわりと目尻に涙がにじむ。
「大胸筋マウスパッドは夢で終わるの……?」
「諦めるのは早い」
リョウは危険な単語を華麗にスルーして、舞香にウィンクした。
「迷路には確実な攻略法がある。急いで脱出すれば間に合うだろう?」
左手を差し出すと、舞香は己の手を重ねて頷いた。
「その攻略法、知っているわ。壁伝いに歩けばいいのよね」
「そうだ」
リョウはもしもに備えて、右手を空けておく。必然的に、舞香が壁に手を添える――と。
『ぽよん☆』
壁が喋った。とても可愛らしい少女の声だった。
己の手のひらを見つめ、舞香は感想を述べる。
「人生最悪のマシュマロタッチだわ」
「俺が替わろう」
「いえ、それが忘れられない手触りなの」
本気の目で舞香は言い、壁にタッチを繰り返した。
『ぽよんっ☆』
『ぼよよ〜ん☆』
毎回、微妙に台詞が違う。さらに、壁がだんだん薔薇色に変化する。
「癖になりそうだわ……」
「俺といるより、それで遊ぶ方が楽しい?」
揶揄含みにリョウは尋ねる。舞香は瞬時に壁よりも赤くなった。
「全然」
「そ」
にこ、と笑う。舞香は、手を強く握った。
リョウも握りかえして、引いた。
出口を求めて足早に進む。
異様な状況に置かれても、人はそのうち慣れる。
例えば巨大迷路に放り込まれても、妙な壁が妙な擬音を喋っても、そういうハザードならそういうものだと諦めるまでだ。
「遠いな」
リョウは焦りを覚えていた。
歩き始めて数時間。
かなりの距離を踏破しているが、出口の気配すら感じない。規模のわからない迷路だから、現在地も掴めない。
敵が現れないのが、不幸中の幸いか。
リョウは募る疲労感を隠して、振り返った。繋いだ手が汗だらけで、舞香の足音が乱れがちなのが気にかかった。
「休憩しよう」
足を止めると、舞香は小さく頷いてその場に座り込んだ。
リョウは空を見上げた。茜色を帯びて夕方を迎えている。舞香は今日中、と言っていた。間に合うだろうか。
先行きが不透明で、不安を覚えずにはいられない。リョウは何気なく壁に手をついた。
柔らかく弾力のある、人肌に似た感触。触り慣れた『何か』にそっくりだったが、リョウは簡単に出てくる答えを保留した。類似性を認めてしまえば、『何か』に触る時に思い出してしまう。
『一万タッチおめでとう☆ お兄ちゃんにごほうびだよ☆』
ファンファーレが鳴り響き、少女の声が流れる。ずぅん、と重い足音が遠くで生まれた。
「そんなに沢山……」
「何か来る」
自分の手を見つめる舞香と、銃を構えるリョウ。
足音は一直線に近づいてくる。気持ちいいほどためらいなく、まっすぐに。
リョウは足音の方角に体を向け、舞香を背後にかばう。逃げる、という選択肢は残念ながらなかった。逃げる途中で迷えば、一からやり直しだ。
「私がお星様になったら、ノートパソコンを一緒にお星様にしてくれないかしら? それはもう粉々に」
「そのお願いは聞けない」
リョウは断言した。それから付け加える。
「だって、最初の仮定が間違ってるだろ?」
目の前の壁が、ぱちんとはじけた。針を突き刺した風船のように。
「ぴよ☆」
二人の前に現れた『ごほうび』は鳴いた。
わかりやすく言えば、身長三メートルのひよこだった。
黄色いふわふわの羽毛とつぶらな瞳。サイズを無視すれば愛らしい生き物――
「ぴよぴよ☆」
でもなかった。予想外の素早さでリョウに迫り、彼にくちばしをくりだす。
遠くから薄目で見れば、餌をついばむひよこそのままの動作だ。
リョウは発砲し、横に飛んだ。
弾丸はふわっふわの羽毛にはじかれて、まったくダメージを与えられない。
「強い、強いわ、ゆるキャラ……!」
舞香が叫んだ。
逃げながら何発か撃ち、まったく効かないとわかるとリョウはヒプノシスを使った。
「おまえは俺に従う」
その瞬間、ひよこの動きが止まった。一般人ならまず間違いなくかかる催眠に、トリ頭がかからないはずがない。
「一番近い出口まで案内しろ」
「ぴよ☆」
ひよこは従順に鳴いた。よちよちと方向転換すると、壁にくちばしを突き刺す。壁はぱちんとはじけた。
「ぴよ☆」
現れた時と同じ重い足音で、ひよこは出口へ直進する。
リョウは舞香を振り返った。
「怪我はないか?」
「無傷よ」
差し伸べた手に、彼女も手を重ねる。リョウはふと思い出して、舞香の左手を取った。迷路を脱出するため、9999回のタッチを重ねた手。
「なぁに?」
いぶかしがる舞香に悪戯っぽく笑って、リョウはその手のひらにキスをした。
壁の感触を上書きする、熱の籠もった柔らかさ。
「行こう」
絶句する舞香の肩を抱いて、リョウは出口へ向かう。
ひよこが作った最短ルートの先に、沈みかけた夕日が空気を赤く染めていた。
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クリエイターコメント | ※このノベルは「終末の日」以前の出来事です。
このたびはオファーありがとうございました。 お言葉に甘えて、カオスなハザードおよび美女その他諸々、捏造させていただきました。 誤字脱字違和感等ありましたら、ご連絡くださいませ。
ぴよ☆
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公開日時 | 2009-06-29(月) 23:00 |
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